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You are currently viewing 3月4日お別れハイク

今年のお別れハイクは「上本郷ミステリーツアー」に行ってまいりました!
班行動で途中クイズをこなしつつ、ミステリーを解明するハイキングに行いました。



上本郷7不思議

八百比丘尼の話

昔、風早神社前の農民六人が長者屋敷の庚申講に誘われた。

ところが、長者屋敷で人魚料理が出されるということが分かり、出席者たちは料理を食べないで帰りに捨ててしまおうと相談した。

が、そのうちの一人は耳が悪かったのでその話を聞き損じてしまい、料理を持ち帰って娘に食べさせてしまった。

人魚料理を食べたその娘は以後800歳まで生き続け、尼になって若狭国に移り住んだそうだ。一説には移住地の若狭国は「若さ」からの連想ではとも言われている。

参考:http://www.asahi-net.or.jp

八百比丘尼のお話の風早神社へまず向かいました。

風早神社の大杉

風早神社には大杉があり、その影は離れた二ツ木村まで届くといわれていました。
探してみると、
あっ、あった!

ちっちゃ!
どうやら枯れてしまっているらしいです。参考にしていた資料にも2代目と書かれていました。
残念

風早神社には杉の大木が立っていた。この杉の木の影は遠く離れた二ツ木村の田まで伸びていた。

影が当たっていた二ツ木村の田は実りが悪かったので、困った村人が風早神社に米を奉納したところ実りが良くなったという。それ以後、毎年米を供えることになったが、ある年これを怠ったところ不作となった。

異伝として、影が当たっていた田は風早神社の霊験で実りが良かったので、お礼として米を供えていたという話も伝わっている。

参考:http://www.asahi-net.or.jp

宮ノ下湧水

風早神社の山林から済んだ湧き水が湧き出ています。
せせらぎの音を奏でる湧水です

斬られ地蔵

斬られ地蔵は現在本福寺境内にあります。
本福寺は松戸唯一の時宗のお寺で、踊念仏で有名な一遍上人が起こした浄土系の鎌倉仏教のお寺さんです。
斬られ地蔵はかなりバッサリ斬られており、なかなかの真実味を感じる不気味さがありました。

参照:NAVERまとめ

明治神社隣の覚蔵院境内で盆踊りがあった。

見慣れない大男が入り込んできて急に踊り始めたので、怪しんだ若者が刀で斬りつけた。斬られた大男は悲鳴を上げて姿を消してしまった。

翌朝境内を見ると、石地蔵の胸に刀傷が残っていたので、大男の正体がお地蔵さまで逢ったことが分かり、若者はびっくりして地に平伏して謝ったという。

この地蔵があった覚蔵院は廃仏毀釈で廃寺になったため、斬られ地蔵は現在本福寺の境内にある。
参考:http://www.asahi-net.or.jp

富士見の松

富士見の松は日蓮宗の本覚寺の墓地にあったようです。
そうです、これも現存しておりません!
7不思議でしかも無いんじゃもう不思議解明なんて絶対不可能ですよねー
富士見の松自体が本当に藤さんの方向に延びていたかはわかりませんが、高台で見晴らしがよく、松戸市街を見下ろせる眺望は素晴らしかったです!

本覚寺の墓地にあった老松。不思議なことに、この松の全て枝は富士山の方向へ向かって伸びていたという。本覚寺は台地の上にあるのだが、この台地の上からは富士山がよく見えたのだそうだ。

実際に本覚寺を訪れてみましたが、高台の上にある寺で見晴らしは抜群。富士は見えませんでしたが伝承ができるのも納得でした。

参考:http://www.asahi-net.or.jp

ゆるぎの松

本福寺の北に樹齢数百年の老松があった。この松の幹をなでると不思議なことに大木がゆらゆら揺れ動いたので、この松をゆるぎの松と言った。今は枯れて現存しない。

参考:http://www.asahi-net.or.jp

ゆるぎの松は校門様の目に留まり、松の幹を撫でたところゆらゆらと揺れたことから「ゆるぎの松」と呼ばれるようになったそうです。
そして御多分にもれず、こちらの揺るぎの松も大正末期には枯れてしまったそうです!

ゆるぎの松跡も高台にあり、石碑を探すのも大変!

官女の化け物

明治神社には官女の化け物のお話が伝わっています。
もともと昔、雷神社がまつられていたいかずち山に夜な夜な真っ赤な袴をはいた官女の化け物が表れて人々を驚かせていました。
現在明治神社の社殿左にある雷電宮と刻まれた医師が雷神社のものだといわれています。

わかりにくいかもしれませんが雷神宮とあります

明治神社には雷神社と刻まれた石があるそうだ。この石はもともと明治神社の北方、龍善寺付近のいかずち山にあった。

昔、このいかずち山に夜毎、赤袴をはいた官女の化け物が出没し、この山を所有した者の家は必ずつぶれて不幸になったと言われる。

この話は一番妖怪話っぽくて興味深かったのですが、明治神社は改築中で(一説にはホームレスのたき火による失火が原因だとか)、雷石が確認できませんでした。

また、その雷石が、いかずち山の官女の化け物と何の関係があるのかも資料を読む限りでは不明です。

参考:http://www.asahi-net.or.jp


これかな?
いや、これじゃない?
見えねぇぇぇぇ!
と楽しそうw


この日は明治神社で河津桜も咲いており、豪奢な社殿とマッチしてとてもきれいでした。

二つ井戸跡

7不思議のトリは二つ井戸。
つるべ井戸が二つ並んでいたのですが、不思議な事に一方の井戸が澄んでいるともう一方は濁っていたそうです。
そして・・・・
やっぱりなくなってました!

ここまでくると無い事を期待してしまっています。
実際本当に井戸があったほうが良かったですが・・・

JR北松戸駅から明治神社に向かう途中に、二つ井戸が逢ったことを示す石碑が建っている。

ここには、跳ね釣瓶の二つの井戸があったが、どちらか一方の水が澄んでいると、もう一方は濁っていたという。

参考:http://www.asahi-net.or.jp

他のミステリースポット

カンスケ井戸

カンスケ井戸は高台へ井戸水を運んだことから井戸坂と呼ばれる石段があり、その斜面地下の竹やぶ内に現存しています。
かつて飲料水や農業用水として利用されていましたが、現在は整備され、鯉が泳いでる姿が認められます。
写真はありませんが、なぜか虹鱒が一匹だけいました。
???なんでだ

中根城跡 安房須神社

鎌倉時代中期に千葉頼胤が在城した小金城が、ここにあった中根城ではないかといわれています。
安房須神社はハイクした中でも一番落ち着いた空気の場所でした。
気持ちよく、ここにしばらくいたいとスカウトも感じていたぐらい、静かで気持ちの良い神社でした。

妙見神社

妙見神社の祭神は神仏皇后禁止によって国常立命に改められましたが、以前は千葉氏の守護神、妙見菩薩でした。

中根妙見神社伝説

九州千葉氏の祖、胤貞は、備前国にも所領があり、何回か備前と下総を往復しますが、南北朝時代、戦いつかれた胤貞が中根城へ戻ったところ、城が荒廃しており、この城主の痛ましい姿を見た農民が傍らの松の枝を三本おり、憩いの場を作ってあげました。そして妙見神社はそのあとに建てられたと伝えられています。

農民はその時「三枝松」の姓をもらい、明治の初期まで千葉妙見社祭礼の際の開扉は、馬橋の三枝松氏が行うようになったそうです。


クイズにあった松をあれじゃない?コレジャナイ?と探し回っていました。

首切り地蔵

水戸藩士の佐藤久太郎が佐幕派家老の市川三左衛門に与したことにより、尊皇派の水戸藩士につかまり、下総本郷村で首をきられました。

村民は哀れに思い、久太郎が斬られた場所にお地蔵様を立てて冥福を祈りました。

やがてお地蔵様の周りは藪に覆われて長い間忘れられていましたが、昭和9年に龍善治建立の際に発見されました。

なぜかスカウトが一番楽しみにしていたのが首斬り地蔵でした。

なかなか不穏な空気をまとっており、雰囲気がありました。
後ろが鬱蒼としていたのでよりおどろおどろしく感じさせました。

クイズも双方組とも頑張っていました。

この活動でくまスカウトはボーイ隊へと上進しました。
2018年度は1組体制になるので今季のような競争する活動は難しくなりそうですが、ボーイ隊に上がるスカウトは勉強、運動、スカウト活動と頑張ってほしいです!


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